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父ちゃん、この豚耳は大きすぎるよ!

それに硬いよ!!



「食不語、寝不言

 

食らうには語らず、寝ぬるには言わず。

 

 孔子は食事のときは食べることに徹し、教訓話しや説教などはなさらなかった、またおやすみになるときでも無駄なおしゃべりはなさらなかった。


 

 しつけは食べるという行為から始まる。

 お母さんのお乳を飲み、離乳食、そして一人前に食事ができるようになるまでにいろいろなことを父母をはじめとする家族、学校の先生等子供とかかわる多くの人々からしつけをうける。最近、周りの子供たちを見ていると食卓にきちんと向かえない、箸が正しく使えない子が多い。それどころか保育園の先生方の話しによると噛めない、飲み込めないという子が増えたということである。生命の維持にかかわりかねない重大事である。

 科学が発達し、物事を分析的に見る傾向が強まったおかげで食事についても食物を口に入れ、胃や腸を通して栄養素として吸収するための分化された作業であると簡単に考えている風潮にある。

 その結果、蛋白質の必要量がいくら、脂肪はいくらと発見されあるいは研究された栄養のバランスだけが問題にされてしまう。勿論、栄養学を否定するわけではない。ただ、分析的に区分けされた一面、一面の集合を見て、さも全てが充たされたと錯覚してしまうことを懸念するのである。

 食の周辺には身体を正しく成長させるだけでなく、感性、コミュニケーション、思いやりなど人間の「心」の成長に欠かせない事柄が数えられないほどにいっぱい詰まっている。

 子供は食事の準備の手伝いや、いただきます、ご馳走さまなどの挨拶を通して働くことを学び、そして感謝の心や食物を大切にする心を養っていくものだと思う。また、食卓は家族が心を通わすための場でもある。

 「うちでは食卓は家族そろって囲みますし、子供とも会話しながら食事をしています。」というお母さん方が多いであろう。 …とは言っても子供にとって楽しいはずの食事が母親や父親から小言を言われながらの苦痛の時間とってはいないだろうか。

 「人参もピーマンもちゃんと食べるのよ!」、

 「ちょとちょっと、テレビを見ながら食べるのはよしなさい!」

 「ほらほら、よそ見するからこぼしたじゃないの、ちゃんと拭いて!」

 「宿題はしたの?、まだ?。さっさと食べて宿題しなさいよ!!」

 こんな調子で食事のたびに母親から攻め立てられて胃が痛まない子は不思議なくらいである。

 どなられているだけならまだしも「あなたは長男なんだから、いい大学へ行って大きな会社に就職して部長や重役にならなくっちゃ。

そのためにはうんと勉強しなくっちゃね。そうそう、このあいだの試験あなたここんとこが間違っていたでしょ、そこはこうして……」

と食べながらじくじくと説教までされてはたまらない。

 昔は食事をしながらお喋りをする子供たちを「静かに食べなさい!」と叱っていたものだ。孔子の教えが生きていたのである。

今では、この孔子の言葉を食卓での母親の小言を止める言葉として心にとめなければならない。

 子供は腹は空いているから怒鳴り声や説教を我慢しながら食べているのではない。親の言うことなど人ごみのなかの喧騒にしか感じられない「マスキング効果」が働き聞き流してしまっているのである。