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 昨日は旧暦の6月1日
 漁師の人々にとって年に3度の海からのボーナスの日らしい。
 アイゴの稚魚が岸に向かって押し寄せて来る日だ。
 お昼前、スーパーに行くと魚売り場にはすでにパック詰めされたスクが並んでいた。
 そこで、買ってきたスクをカルパッチョにして瑞穂の26年物の古酒を飲んでいると何年も前に知念村文化協会の機関誌「斉場の杜」に寄稿した文を思い出した(以下)

 沖縄にはスクガラスという塩辛がある。この塩辛の素「スク」は少し癖はあるが左党にとってはこの季節の肴の絶品である。

 スクはアイゴの稚魚である。夏の盛りに群れとなって岸へ押し寄て来るという。アイゴは背ビレや腹ビレ等には毒があり刺さったりするとたいへんだ。

 スクは知念村の季節の珍味だ。スクはそれほどの毒は無いようで、生のスクを酢醤油で食べると美味しい酒の肴となる。時期になると友人からわけてもらって夏の味覚を堪能している。

 このスクを塩漬けにしたのがスクガラスである。このスク数匹を作りたての熱々の豆腐の上にのせて食するのであるが。これも酒の肴にはもってこいのものである。

 スクについて書き出したのは、女房が執筆する「沖縄野菜の本」の資料集めを手伝って古い本やらコピーやらをひっくり返している際に読んだ40年も前の琉球新報(1960年12月3日・名産パトロール欄)に知念村のスクガラスのことが掲載されていたのを思い出したからである。

 その記事によると旧暦の6、7、8月の1日に知念の沖合にやってきたスクをサディ網に追いこんで獲るのだが、時には網が足りないほどの群れが押し寄せて来ることもあったそうである。収獲量は多い年で15トン、平均して10トン位だったらしい。そして値段であるが、獲れてすぐなら600gあたり25セント、鮮度が落ちるにしたがって15セント位まで下がったらしいのだが、知念村に落とすお金は3千ドルにもなって有力な産業だったとのこと。現在の価格に換算すればいくらになるのだろう。相当な金額にのぼることは間違いない。

 ところで当時にしても戦前と比較してその収量はずいぶん減っていたらしいが、その減った理由を県の水産試験場では「戦前は畑の肥料に糞尿を使っており、これが海に流れこんでプランクトンを育成していたが、戦後は科学肥料が多くなり、プランクトンが少なくなったためだろう」と、まだ下肥と金肥の両方が使われていたであろう当時の知念村の農業事情までもが想像されるような見解を述べている。

 最近ではさらに漁獲量が落ちたのだろう、季節になっても那覇の魚市場に出回る量は少なくなった。それでもわれわれ庶民─当時で言えばカラスグヮー階級─にとってなくてはならない酒の肴の一つであることにかわりはない。

 さてこのスク、食べ方にコツがあるという。口に入れるとき頭の方からでないと具合が悪い。喉に刺さってつかえたりするというのだ。小さい頃から酒飲みのみのおじさんたちにそう教えられてきたので今までそれを守っているつもりだったのだが………。

 じつは先日の夜、スクを喉にかからせてしまい往生した。女房が豆腐を丸のみしろとか、ご飯を噛まずに飲み込めとかいうのでやってみた。

 だめだ、豆腐もだめ、ご飯もだめ、いろいろ試してみたがどれも効果がない。へたなものを飲み込んだら刺さったスクにそれがひっかかって窒息しないとも限らないと大げさに考えてしまう。七転八倒しながら青ざめていく私の顔を見ながら、女房は笑い転げて食事の箸が持てないでいる。笑い事ではないと思うのだが怒鳴るだけの余裕が私にはない。飯を飲み込み、指を喉奥に押し込んで吐けばスクのトゲは順方向となってぬけるのではないかとやって見る。やはりだめだ、こうなれば病院へいって喉を切開するしかないのかと悲壮な気持ちにかられる。でも、たかがスクが喉につかえたぐらいで病院へ行くのはみっともない、なによりもこんな時間に開いている病院があるはずがないなどと考えていると、数年まえ釣りにいった時のことを思い出した。

    会社の先輩Nさんとボートで知念の岸から300メートルほどの内海で釣りをしていたのであるが、ふと喉仏あたりにチクッと刺すような痛みが走った。蜂だと思い払いのけようとした手に4,5本の針がついた釣り糸がさわった。おまけに針には餌のゴカイまでついている。手繰って見るとなんと私の喉に繋がっているではないか。Nさんの釣り糸だ。驚いたNさんは何とかはずそうとする。だが、いじればいじるほど私が痛がるので病院へ行くことになった。県立那覇病院へ行き医者に診てもらっていると、看護婦たちが集まってきて笑う。笑ったかと思うと「なんてみっともない」と言うかのように私をたくさんの目で嘗め回す。さらし者にされてブスッとしていると、「手術します」と医者がいう。これは大変なことになった入院するのかな、家にも電話しなければ、会社はNさんが連絡してくれる……といろいろ思い巡らしていると看護婦が注射器とペンチにニッパーなど大工道具を持ってきた。

 医者は、「はい、そこに座って顎を上げて」というやいなやニッパーで針の頭を切り落とし、ペンチで釣り針を挟み、縫い物さながらに喉を縫って抜き出した。麻酔をするも何もあっという間の出来事であった。あとはお決まりの消毒と破傷風予防かなにかの注射をして終わり。「はい終わりました、薬を受け取って帰っていいですよ」という医者の声と嘲笑する看護婦達の目に送られて診察室をあとにしたのである。

 こんども同じ目にあうのかと思うと情けなくなってきた。そのときふと、そうだ寿司を食べに行こう、寿司ならそっけもない飯粒と違って無理せずに飲み込める。ついでに酒を飲めば刺さった傷口の痛みも麻痺するだろう、という名案が浮かんで来た。そこで、夕食を途中できりあげ、女房を急き立てて寿司屋に向かった。

 ところが、実をいうと寿司屋に着いた頃にはすでにスクは抜けてしまっていたのである。だから喉を気にすることもなく、たらふく飲んでたらふく食べることができた。

 寿司屋に向かうだけで喉に刺さったスクは落ちるのだ。 

 時たまスクが喉にかかったからといってスクを肴にするのをやめるわけにはいかないのだ。これを書きながらも来年の夏が待ち遠しくなってきた。
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噎ぶに因りて食を廃す     呂氏春秋

 

 ごくまれにしか起こらないことをあんじて大切なことを止めること。


夫有以噎死者、欲禁天下之食、悖。有以乗舟死者、欲禁天下之船、悖。


 食べ物が喉につかえて死んだ人がいたからといって食べることを禁じることは誤っている。船に乗って死んだ人がいたからといって船を禁じるのも道理にはずれている。このように極めてまれな事例を取り上げて一般的なことに広げてしまうことを諌めた言葉である。