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今日の学生たちの料理実習は「ソース」
ソースの種類の説明などのあと実習に入った。作るのはヴィネグレットソース、マヨネーズソース、ベシャメルソース、トマトソースなどである。


トマトソースはベシャメルソースを使ったチキンクリームコロッケも作って添えた。
コロッケ作りは結構手間がかかる。
実は先年こういうことがあったのだ。


 小人閑居して不善をなす。……という言葉もあるが、ひまが有るなしにかかわらず、我々凡人は余計なことをしがちである。

 ある時、ポテトコロッケが急に食べたくなったので作ることにした。コロッケは母が上手に作るので時々それを見ていた私は自分にもできると確信していた。しかし、ここで余計なことを考えてしまったのである。

 きちんと手順を踏んで作れば良かったものをつい手抜きの方法が頭に浮かんだ。その瞬間、女房や母にも教えてやろうなどとまで思った。母や女房はコロッケを作るときにじゃが芋を丸ごと茹でる。それからマッシャーで潰すのである。この方法ではじゃが芋が茹であがるのに時間がかかる。

 そこで私が考えた名案とはこうである。まずじゃが芋の皮をむき、茹で時間が短くなるようにうす切りにする。茹でる湯も少なくしてじゃが芋が隠れるぐらい。沸騰したらすりこぎで潰しながら汁がなくなるまで茹でる。これで茹で時間、潰す時間が短くてすむ。

……と思った。しかし、潰しているとどうも変だ、じゃが芋がホクホクと仕上らない。いや、それどころか妙にネトネトしてきた。そうか、まだ水気が残っているのだ、もう少し水分をとばせばいいのだと思いながら作業を続けてもちっとも変わらない。どうしよう、なにかうまくこのピンチを脱するいい方法はないかともたもた考えているうちに鍋の底から焦げてきた。待てよ、こりゃまずい、失敗だ。

 …ここまで来て気づくとは情けないのだが、そういえば小さいころメリケン粉や残りご飯で糊を作っていた時もこんなふうにしていた。

そうか、じゃが芋は澱粉の固まりなんだからお湯で練ってしまたので糊になってしまったのだと。

 そうこうしているうちに糊もだんだん固くなってきた。どうしよう、どうしよう。えぃ、ものは試しだ、水を足して火にかければ焦げはやわらかくなって剥し易い、糊も薄められて流すことができるだろうとやってみる。ところがどうだろう、鍋の中はまるで火山のようにプツプツ、プシュプシュと糊を噴きあげて来る。爆発だ!!。しょうがない火を止める。しかしこびりついた鍋底の焦げと台所に充満した焦げ臭い匂いは簡単にはとり除けない。女房達が帰ってくるまでになんとか始末をしなければ笑い者にされてしまう。よし、まずは片付けの手順だ。①仕上った(?)芋澱粉の糊は見つからないようにトイレに流す。②焦げはスーチールのたわしで擦って落す。③一つの鍋だけ磨いたのでは変に思われるので他の鍋も磨く。④ついでに流し台もピカピカにして、⑤窓や戸を開け放って空気を入れ替え、⑥「火の神」に線香を供えて匂いをごまかす。これで完璧だ。もう笑い者どころか、台所の片付けをしてもらったということで感謝されることは間違いない。こうして情けなくもコロッケ作りは台所の片付けと大掃除にと代ってしまったのである。

 もちろん、その日はコロッケが仕上ることはなかった。

 それでも、ここでいい格言を得ることができた。つまり、じゃが芋の場合はこうだ。

「芋を煮るに煩なれば糊化す」
芋を煮る時に頻繁に突ついたりかき混ぜたりすると糊となって失敗するように、素人が台所に立つと料理どころか大掃除をするはめになってしまうものだ。

魚を亨るに煩なれば砕す      詩経

魚を煮るときに、やたらとかきまわしたり、突ついたりすると魚が煮崩れてしまう。
亨魚煩則砕、治民煩則散。知亨魚則知治民矣。

 

 魚を煮るときに頻繁にかきまわすと煮崩れてしまうように、政治も煩雑なことをすると民心が離れてしまう。魚を煮ることを知ることによって民を治めることも知れるものである。