今日は正月2日。

 去年の暮から女房が忙しく働いている。

 もちろん私も女房の忙しさにつれて仕事がふえる。掃除を云いつけられ、障子を張り替え、買い物に車を出す、暮れの仕事は多い。

 だが年が明けてしまうと私はやることがない。ないというよりできるのがないのだ。台所仕事は手伝うとかえって足手まといになる。

 だから台所で立ち働く女房に申し訳ないと思いながらもお屠蘇を盗み飲みするしかのうがない。

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 女房が大忙しで料理を作っているのは従姉弟たちの家族が大挙して来るからだが、それに加えて正月の2日は数年前から私が懇意にしている方々で作る「悠遊会」の朝の定例会を我が家で開催することにしていることもある。

従姉弟たちの家族は大人から子供まで総勢30人程になる。それだけの人数の料理を作るのだからたいへんなことだ。だが、その客たち、食欲旺盛な上に我が家で夕食を取るつもりでやってくる。だから二日がかりで作った料理の品々があっという間に食べ尽くされてしまう。生前、母は彼等が帰ったあとに決まって「ウッターヤ ヌーティーチンヌクサン ムル ウチュカディ ンジェーサ(何一つ残さず食べて帰っていった)」と呆れ顔ながら喜んでいた。

 女房はさぞやつかれただろうと思うのだが、客が帰ったあと「お母さんや、強さんがよろこんでくれるから平気」と殊勝なことをいう。

 女房がこのように料理に一所懸命になれるのは客が喜んでくれるからだけではない。それ以上に母が喜び、私が喜ぶのが嬉しいのだ。

 そのような女房を見ていて、40年も前の正月のことを思い出した。

 そのころ、私はサラリーマンをしていた。暮もおしせまったころ上司であるA係長から正月に遊びに来るようにいわれた。だが、歳末からの雨続きは正月にはいってもやむことがなく、2日の夕方には大降りになってしまった。あまりにも雨が激しいので出かけるのを躊躇して理由をつけて断ろうとも思ったのであるが、せっかく声をかけていただいたのに行かねば悪いと思い、タクシーを呼んで出かけた。

 Aさんは九州の出で沖縄に赴任して社宅暮らしをしていた。タクシーを降りても雨は容赦なく降り続けている。滝のように流れ落ちる雨の階段を3階まで上ってズボンの裾の泥ハネを払い玄関のチャイムを鳴らすと小柄な奥さんが迎えてくれた。

 我が家を出るとき、すでに招待の時間になっていたので、到着した時にはかなり時間がたっていた。同じ職場の数人が招待されていたのでもう酒も回って騒いでいるころだろうと思っていたのに、客はだれもいない。

 Aさん夫婦は私の顔をみてほっとしたようだ。「女房がこんなにたくさん頑張ってくれたのに、だれも来なかったらどうしようと思っていた、来てくれてありがとう」とAさんは言う。あべこべだ、招待してもらった私が言うべきことばを先に言われてしまい、出かけるのを躊躇した自分が恥ずかしく思えてきた。通された部屋の食卓には奥さんの手料理が並んでいる。それを見て、来てよかったと思った、もし来なかったらAさん夫妻のお気持ちとご苦労を料理と一緒に棄てさせてしまうところであった。

 結婚して数年だがご夫婦はとっても仲むつまじい。その奥さんが夫の部下や同僚を手作りの料理で歓待する。雨続きの歳末、大掃除やら材料の買出し、部屋の飾り付けなどたいへんな難儀をしただろうことは想像に難くない。

 夫と同僚との関係を気遣い、部下や同僚をもてなすことで夫と同僚とのよい関係を思い、仕事がしやすくなることを願う。そのために雨を厭わずに料理の仕度をしてくれたのだ。

 わが女房の気持ちを知ることで、あの時のAさんの気持ちをいまさらながら知ることができたのである。


 

雨を冒して韮を翦る
(雨をおかしてニラをきる)
                    郭林宗別伝

 

 友情の厚いこと。手厚くもてなすこと。

 

 林宗有友人。夜冒雨至。翦韮作炊餅食之。

 

 後漢の郭林宗のもとへ夜雨をついて友人が訪ねてきた。林宗は雨に濡れながらも畑で韮を刈り取って来て餅を作り、友人に食べさせたという故事に基づく。