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 「ジベタリアンNO、あなたは自尊心を捨てていませんか」あるコンビニエンスストアーに張りだされたポスターである。ジベタリアンとは地べたに座り込んでいる若者達を指しているようだ。昨今、コンビニエンスストアーの前を通ると、若い男の子や女の子が地べたに座り込んでカップラーメンやハンバーガーなどを食べているのをよく目にする。公衆便所の入り口近くで飲み食いしているジベタリアンさえいる。それどころかトイレ内で飲食するのもいるらしい(下の写真)。
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私たちの年代の者から見れば確かに見苦しいのだが、いったい親はこういう自分の子供の姿を見てど思うのだろうか、これも今流では「普通」なのだろうか。
メタボリックシンドローム、生活習慣病が活発に議論されるようになってきた。私はこの習慣病に加えて「心の生活習慣病」の予防を訴えたい。沖縄には「口からるシーラー入いる」という言葉がある。病や災いは己の口(=言動)が原因で起こるものだという意味である。食べるのを律し言動を律していくのは結局自分自身の心構えである。前述のジベタリアン達の姿を見ていると彼らの生活環境が推し量られ、行く末が心配になってくる。もちろん彼らの中の大半は健康な生活環境にありながらも、青少年期特有なアウトロー的な演技をしていたり、あるいは仲間はずれになりたくない気持ちからそうしている子もいるだろう。しかし、そこが「心の生活習慣病」の怖さである。知らず知らずのうちに「心のエネルギー代謝異常」に陥っていき、己を律していく力が弱まって「良習が悪弊に駆逐」されてしまうのである。

 18世紀のフランスの政治家で食通として知られるジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランは「禽獣は喰らい、人間は食する。教養ある人にして初めて食べ方を知る。」と言い、「どんなものを食べているのか言い給え、君がどんな人だかあててみせよう」と言ったという。食事そのものにその人の品格が現れて来るであろうことは想像できる。

 食育基本法が制定されて久しい。その前文には「二十一世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である。・・・略・・・子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である・・略・・・。」とある。

 「食育」という言葉が初めて使われたのは100年以上も前である。 手元にある「食道楽(明治44年刊)」でも「小児には徳育よりも知育よりも体育よりも食育が先き」と著者村井弦齋が述べており「食育」は新しいようでいて古くからある私たちの課題なのである。

 だが、食育がカロリーや栄養の話に偏ってはいけない。愛は胃の腑を通るという。食を通して感謝する心、慈しみの心をも教えていかなければならないのではないかと思う。
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